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5/30(月) コトバハカラダ言葉について。 俺は「肉体言語」にこだわってきた。 それは「行為」でなければならない。 肉体とコトバが完全一致で、内と外に向かわなければならない。 自らが発するコトバにチカラを宿らせ、霊性を備えさせる為に、自らの肉体を強烈に意識する。 走り込み、筋力を上げ、ヨガや太極拳を取り入れた瞑想をし、舞踏のように動き、呼吸にまで神経を張り巡らせる。 そうした肉体から絞り出され飛び立つコトバは「言霊」になる可能性を多分に持つのではないか。 もう一つの「肉体言語」。 それは己の命を懸けた最終手段。 「もはや言ってもわからない」時に使う自己表現。 一生の内に一度使えるか使えないかの暴力。 三島由紀夫や野村秋介のそれであり、任侠映画の中での高倉健のそれである。 この二つの意義を合わせ持つ「肉体言語」に音楽人生を懸けて来た。 しかし最近、自分にとって新たな概念で語られるべき言語に出会い、考え続けている。 それは肉体と対極に在る、身体性を全く度外視した言語。 言葉と肉体を同じ次元では考えない言語。 分かり易く言うと、辺見庸、ホーキング博士、吉本隆明、中島らも、、、などの発するコトバである。 それは肉体という道具に頼らないモノであり、むしろ不自由な身体から魂を切り離して眼前に差し出されるコトバ。 意志や意思ではなく、まるで石である。 今の時点では自分の中で何の答えも出せてない。 早く理解し、ライブに反映させたい。 言葉は身体。 身体から言葉。 コトバは空だ。 空だからコトバ。
by shinto-ka
| 2011-06-01 18:24
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